クリミアの天使・その名もナイチンゲール
クリミアの天使・その名もナイチンゲール
ナイチンゲール、という名はあまりにも有名ですが、今日はその功績について少し触れてみようと思います。
1854年に勃発したクリミア戦争は、フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍およびサルディーニャ王国(現在のフランスとイタリアの一部)とロシアが戦い、その戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島(黒海の北岸にある半島)、さらにはカムチャツカ半島にまで及んだ、近代史上稀にみる大規模な戦争でした。
「クリミア戦争での兵士の扱いが、後方ではぞんざいになっている」とロンドンタイムズの特派員に聞いたナイチンゲールは、看護師として従軍する決意を固め、38名で構成された女性だけの精鋭部隊を率いて、戦地に乗り込みました。兵舎病院に到着した看護団は、病院の責任者から冷遇を受けます。
当時の看護師は、病院で病人の世話をするためだけの地位として見られ、専門知識の必要がない職業と考えられていた時代だったのです。しかしナイチンゲール達は、まず病院の不衛生さを取り払うため、病院のトイレや手洗い場の清掃に取りかかりました。
やがて戦況は激化し、山のような傷病兵が病院に送られてきたことにより、ナイチンゲール達は看護師として従事できるようになりました。
戦場において一番大切なことは「良好な衛生環境を維持すること」と感じたナイチンゲール達は、治療と並行して病院内の衛生面の改善にも尽力しました。兵士の体の清潔を保ち、傷口を消毒し、包帯を変え、常に患者の側から離れることなく、ろうそくのランプを手に夜回りを行ったナイチンゲールは『光を掲げる貴婦人』とも呼ばれました。
後の調査で分かったことですが、看護団が活躍するまでの多くは、不衛生だったことが原因で感染症などが蔓延し、高い死亡率の原因となっていたことが推測されました。
その働きぶりから「クリミアの天使」とも呼ばれたナイチンゲール。
看護師を「白衣の天使」と呼ぶのは、この時のナイチンゲールの働きに由来するものなのです。ナイチンゲールはこう述べています。
『看護の仕事は、快活な、幸福な、希望に満ちた精神の仕事です。犠牲を払っているなどとは決して考えない、熱心な、明るい、活発な女性こそ、本当の看護師といえるのです』と。
看護という仕事は、決して自己犠牲ではありません。その経験が自身を成長させ、また他人を幸せにすることも出来る素晴らしい職業です。
看護という仕事に出会えたことを、心から誇りに思います。